2020.5.7(木)の日記
11:00起床
目覚めてふと見ると、そこにはすでに、私が起き出す待ちでジーっとこちらを見ている猫あり。
その姿があまりに可愛くて、布団の中から動画を撮り、動画アプリで加工する。
窓を開け、外の写真を一枚撮る。晴天。
歯磨き、猫トイレそうじ、顔蒸しタオル(アロマスプレーして)、メイク、ストレッチ、ふいに顔面体操もする。
12:00 あたたかいお蕎麦。
YouTubeで占星術の動画見る。
今日は、蠍座のウエサク満月か。
皿洗い、掃除。
今日は、少し念入りバージョンの掃除。
13:00 なんだか、ちょっと疲れたな。
「自粛生活を充実させなければ…」と知らず知らす気張っていたことに気づく。
ふいに、やりたいこと迷子になる。
やりたいことがたくさんあるようでいて、何をやっていいのかわからず混乱している。
「ヤリタイコトガワカラナイ」という言葉は、無意識にかなりの回数頭の中で発している。
これはとても危険。気づくと、言葉の威力を忘れてしまっている。
今日は仕事のレポート提出締切日。
「ヤリタイコトガワカラナイ」と悩んでいるように見えて、ホントは報告書を忘れたい。
15:00 まだ現実逃避。
猫を長時間だっこする。
17:00 まだ逃避。
ポテサラホットサンドを食べる。ホット豆乳飲む。
諦める。レポートにとりかかり、完了。
クオリティにこだわり延ばし延ばしにしてきたのに、提出期限ぎりぎり時間がないと“クオリティ”なんて言ってられず、投げ込むように提出。
レポートつくっている時、義母から連絡がきて、とりに来てほしいものがあるという。
行く時間を決めて連絡をする。
人は何が一番ストレスがかかるか、という話題で、どこかのお医者か教授か忘れたが、「迷っている」状態が一番ストレスが強いという。
その先生は「手紙の返事」ということを例に話していた。返事をした方がいいのだろうが、めんどうだなぁ、はてさて、返事を書こうかどうしようか…
この状態が一番ストレスがかかる。まして、「書かなければ…でもな…」と迷い続けて日ばかりが経てば、絶え間なく強いストレスにさらされることになる。これらのストレスが与えるダメージは、私たちが思う以上のものらしい。それらのストレスを軽減するにはとにかく、“書く”か“書かない”かを決めることだ、と先生は言う。
義母宅に滞在したのは30分ほど。破壊力に時間の長さは関係ない。
PC作業。
息子が「もしかして今日って満月?」と聞いてくる。息子の部屋は月がよく見える。
今日がウエサク満月だと知っていても、息子の一言がなければ、うっかり見るのを忘れるところだった。
外に出てみると思わず「わぁー!!」と声が出るほどの月。大きいし、黄色が濃い‼︎
いつもの月と様子が違う。
義母の毒が体内をかけめぐっていて、平常なら笑いとばす息子の他愛ない冗談を真に受け、怒りがこみ上げる。
気持ちが荒れまくっている時は「書く」ことで内省すればいいとわかっていても、やりたくない。
深夜、憂さ晴らしのめちゃ食い。
テレビで「コンフィデンスマンJP最終回」の再放送観ながらバームクーヘン食べて、コーヒー飲んで、わかめラーメンを食べる。
布団に入って本を開いても心が荒れている時は読書に没入できない。
"iPhoneかじがや本"を開く。
こういう本が、気が休まるときってある。
そして、けっこう感動する。
偶然の出会いは、わくわくする
『ブラックゴッドファーザー』というドキュメンタリー映画の話題を聞いて、見たいなと思う。Netflixで配信しているということだけど、契約してないのでだめだ。AmazonプライムVideoで有料であったりするのかなぁ、と検索したけど、まったくの空振り。
そして、どのワードがひっかかったのか、たった一本ヒットしたのが『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』という作品。見ると、リチャード・ハリス、ロバート・デュバル、シャーリー・マクレーンという面々。ゼッタイ観たい。
こんな偶然がなければ、この作品の存在も知らなかった。些細な出来事だけど、でも、些細なことじゃないって知ってる。
2020.5.6(水)の日記
10:45 起床
ショートカット機能に設定した「朝イチ」を初めて使う。
「写真を撮る」→「バッハが再生」
毎日、カーテンを開けた時に同じ位置で写真を撮ろうと思う。
猫トイレそうじ、歯磨き、顔蒸しタオル(今日は大きめタオルで。爽快感レベルアップする)、メイク。
洗濯。
ストレッチ棒で軽くストレッチ。
なぜかこれをすると猫が落ち着かない様子で私にまとわりつきだす。「猫のポーズ」で体伸ばしてるのに、お腹の下のわずかな隙間に入り込んできたりする。なぜだ。
11:30 あたたかいおそば
ゴミだし。ゴミ出しから戻ると、私の座っていた場所が猫にとられている。
13:30 コーヒー、塩大福(半分)
本棚から数冊、気のむいたものを抜き出す。
『第2図書係補佐』又吉直樹
『たましいの場所』早川義夫
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと』
『こころと脳の対話』河合隼雄・茂木健一郎
『こころとー』は、この数日出しっぱなしで、なにかと手にしては読んでいた。
"Air drop"がわからない。調べる。
今さら聞けない恥ずかしいことがたくさん。
ブログ記事2本書く。
文章にしようとすると緊張する。思考がすさまじく散りまくるから、とてつもなく時間がかかる。
21:30 おふろ
23:00 魚、ごはん、切り干し大根溶き卵の味噌汁。
ゴワゴワの髪の毛に対して不満な様子の息子に、ブラッシングの大切さを熱弁。
0:00 紙に殴り書きした雑記をevernoteに打ち込む作業。
深夜静かな部屋で、正座で作業している膝前に一匹、膝脇に一匹の幸せ。
『龍の巣に挑む 巨大地下空間世界最大の闇』の録画を流しながら作業する。
布団に入ってからも胃が痛み、腰や背中を押す。呼吸法をしながら痛みそのものを見るようにする。そのうち寝た。
ひとつの記事で、思いの丈すべてを語ろうとしなくていい。
例えば、本や映画の感想を書こうとする。
すると、本や映画自体、私にとって大切な存在であったという熱い思いに飲み込まれてしまう。ましてお気に入りの作品となったら、その作品を思い返す作業ですでに胸が苦しくなる。
自分にとってこんなにも大切な作品を、どう表現すればいいのか。気楽に書くことができない。
それが長年の悩みであったが、今、だんだんとわかってきた。「私が」その作品のすばらしさを表現できるかどうかなど心配する必要はないのだ。その作品のすばらしさは、読めばわかるし、観ればわかる。もちろん自分なりに表現できたらすごくいいと思うけど。
今まで書くのが怖かったのは、「この作品のすばらしさを、こんなにも私は理解しています。」という意識だったからだ。そして、それをわかってもらえないことへの恐怖だった。それはまさに、自己承認欲求。
「みんな、自己承認欲求じゃなくて、自己満足で生きればいいのにね…」と、ある人が言った。
“ひとつの文章で、人生のすべてを語ろうとしなくていい”と、何度ノートに書きなぐったかわからない。本の感想も、映画の感想も、書きたいと思ったら、同じ作品に関して何度も何度も書いたっていいんだ。なぜこんなにも有り体の、「そこはかとない」、それでいて「絶対的」な正解があると思いこんでいたのだろう。
文章を「結」でかっこよく締められたらいいけど、それもその時々でいいのだ。
核心から逃げて、記録することだけ洗練させてもキリがない。
紙の日記、ブログの日記、瞬間日記アプリ、家計簿アプリ、Evernote、NOTEBOOK、紙の雑記、ノートの雑記…どこまで記録をし続け、「記録法」を洗練させればオワリがあるのか。
いったい私は何がしたいのか。
“証拠残し”に人生を費やしてしまう。
Evernoteの大量のデータを整理しながら、最近使い始めたNOTEBOOKにまとめていこうと考えている時点で、さすがに「自分に疲弊している自分」に気づく。
書くことが怖い、という核心から逃げたい。
「そのまま」を書くということが、どうしてこれほどまでに恐怖なのか。
書きたい、という本心から逃げ回って、「綺麗に記録する」ことに血眼になっても、そこに充足感はないゼ、私よ。
2020.5.5(火)こどもの日 の日記
11:45起床
猫の「ニャーッ‼」の呼びかけで目覚める。
見ると、顔面数センチのところに可愛い顔があった。
なにか訴えてきたのだろうが、猫語わからない…ごめんね。
起きた時すでに心の中に、昔(20代前半の頃)のトモダチだった女の子がいて、不思議な気分。楽しい思い出とは言えないこととか、ふわふわと記憶が漂う。
あまり言えないことが多いのは人生が重くなる。
猫トイレそうじ、洗顔、メイク。
猫との日課がたくさんある。そのうちの一つが「だっこの時間」
だっこを執拗に迫ってくる。賢いがゆえ、ねばれば願いは叶う、と学習しており諦めない。台所で、お湯が沸く間のスキマ時間で…とか適当な扱いをすると、かえって欲望が増すのか、訴えが激しくなる。真摯に向き合う態度が大事。
12:00 温かいおそば、さつま揚げ入り。
コーヒー飲みながら新聞を読んでいると、猫に下から突き上げられ、淹れたてあつあつのコーヒーが口回りにぶしゃ!っとなる。こぼれた先はほぼ新聞で、セーフ。
13:30 歯磨き
あまりの天気のよさに外に出て軽くストレッチ。
空を眺める。だんだんとカタチを成していく雲に見入る。
雲に見入りながらも、かかとの上げ下げ運動。
家にもどり、ビル・エヴァンス流してぼーっとしてた。
15:20 久しぶりにDVDの棚から取り出し映画を流す。
ホット豆乳とポテサラホットサンド食べながら、観るともなく観る。
最近、一本の作品を「鑑賞する」ということが難しくなっている。
没入できない。
Quikアプリで猫動画に初挑戦した。時間どろぼうアプリだ…
息子が、ネットで買ったという新しい服を見せてくれた。
「しいたけ占い」見る。
ここ最近の“疲れ”を言い当てられた感じ。
“疲れ”なんて誰でもあるでしょ、って話じゃなく、ここのところ独特の疲れを感じていたところだったから「ほー」ってなる。それと、「音楽をそばに…」というようなことも書いてあり、それも「ほうほう!」と強く納得。自分自身そんな気がしてたところだったから、言われる前にできてて褒められたような嬉しさあり。
ショートカットを有効活用したい気持ちばかりが昂り、「息子にLINE」のショートカットをホーム画面に設置した。
23:00 おふろあがる。音楽聴きながら部屋を軽く片づけたりして、ほっと一息つくと0時。
息子が、光熱費というのはなんのことをいうのか、それらはどのぐらいかかるものなのか、と興味を示していたので、参考までにウチの明細をLINEで送る。
1:00 スマホのいじりすぎで脳が疲弊している。疲れているのに布団に入っても安堵感、充足感が足りない。依存ぎみだな…
2020.5.4(月)「みどりの日」の日記
10:00起床
ちょっとむくみっぽい。
猫トイレそうじ、歯磨き、顔蒸しタオル、メイク。
ゴミ出し。
個人的ミラクルに遭遇(タイミング的なこと)
"だし高野豆腐さつまあげ"食べる。
コーヒー、カントリーマーム1こ。
いろいろやろうと思ってたけど、iPhoneショートカットの使い方、活用法見てたらものすごい時間たってた。
洗濯まわす。
ポテサラのじゃがいもを蒸す。
めんどうで先延ばしにしていた、揚げ油の処理。
洗面所の、気にはなるけど放置していた小物たちをそれぞれ洗ったり、処分したり。サッパリ。
息子の断捨離熱が増すばかりで、なんだか興奮ぎみでうるさい。(笑)
14:45 鮭、ごはん、豆苗味噌汁の残り、味噌漬け、緑茶。
15:45 ホットケーキ、コーヒー。
pc作業
20:00 ポテサラのホットサンド、お酢ドリンク
(やっぱりポテサラ食べると胃が痛む。原因は、いも?ハム?)
21:45 おふろ
お蕎麦をゆでる。あったかい山菜(近所の方からいただいた)そばにして食べる。食器洗い。
気温が高くなってきたから、しばらく髪を乾かず作業していても平気。
TV見ながら食べるも、食べ終わるとすぐに消す。
0:00すぎ 雨が降ってきた。
寝る前にふと思いついてEvernoteのタグづけ整理をちょっとだけ…と思い始めたら、2時間やってた。
2時間やったところで、良いタグだと思い複数個ひたすら付けたが、この整理方法では検索機能低いな、と気づいた。