核心から逃げて、記録することだけ洗練させてもキリがない。
紙の日記、ブログの日記、瞬間日記アプリ、家計簿アプリ、Evernote、NOTEBOOK、紙の雑記、ノートの雑記…どこまで記録をし続け、「記録法」を洗練させればオワリがあるのか。
いったい私は何がしたいのか。
“証拠残し”に人生を費やしてしまう。
Evernoteの大量のデータを整理しながら、最近使い始めたNOTEBOOKにまとめていこうと考えている時点で、さすがに「自分に疲弊している自分」に気づく。
書くことが怖い、という核心から逃げたい。
「そのまま」を書くということが、どうしてこれほどまでに恐怖なのか。
書きたい、という本心から逃げ回って、「綺麗に記録する」ことに血眼になっても、そこに充足感はないゼ、私よ。