依存的な人間関係は、“心を亡くす”と書いて、忙しい。
朝一布団の中でスマホチェックした時、知人から「シェアします」と情報提供のLINEがきていた。一瞬で心がどんよりした。これはなんなんだろう。そのこと自体たいしたことではないのに、ネガティブエネルギーの威力がすごい。
これには知人と私がもともとどのような関係性なのか説明がいる。
要は、境界線が甘い関係というか、依存性の強い関係なのだ。友人とも言い難い「知人」であるものの、心の距離が近すぎて、物理的にも精神的にもパーソナルスペースを侵されることが多く苦しい。
それは相手にだけある素養ではなく、私の中にそれを「受け入れなければいけない」と思っていまう素養が多分にある。簡単に言えば「嫌われたくない」「嫌な人だと思われたくない」「感じよく対応できなかった私が悪いのだ」「きっと、あの人はいい人のはずだ。私が素直に見れてないだけだ」「何かしら私の理解が浅いことがあるのかもしれない…」などなど。
事象を事象として「そのまま」受け止めることが苦手だ。
挨拶、たわいない会話でも、その知人に対しては胃が張る。もう体が拒否ってるのだ。
なにをどう話してもちぐはぐな気がして心地が悪い。
会話が終わり、別れた後には強烈な後悔が押し寄せる。会話のすべてが嘘だった気がして、私の口から出た言葉すべてを撤去回収したい衝動にかられる。とにかく後味が悪い。
この知人Aさんとは、最近まで冷戦状態だった。きっかけは、Aさんの“ご厚意”の申し出を私が快く受けなかったこと。私の断り方が気にくわなかったAさんは激高した。怒鳴りこそしなかったが、初めて会った人間のように突然の敬語。怒りのエネルギーは体からめらめらと燃え上がり、会話してるはずなのに、私に背中を向けている。ドアの開け閉めはドアが壊れんばかりの強さ。強烈だ。
そのほとぼりが冷めてきて、「終戦」の空気が漂ってきたことに気づいていた。
たいした用事ではないのに確認の電話をくれて、話題は自粛中のオンライン茶会をしよう、という向きになった。
冷戦状態、緊張状態が和らぐと、私もホッとして、久しぶりに深い呼吸ができているような気分になる。ここがあぶない。物事に一貫性を持たせたいがために「やっぱりAさんはいい人なのではないだろうか」と考える。
それはAさんも同じなのだろう。
そして、冒頭の「シェアします」につながることになる。
「シェアします」が、「ただの」シェアではなく、「思惑たっぷりの」シェアのような気がして、気が重いのだ。
この「シェア」を受け取ったことで、心理的に「お世話になった」感覚になっていた。そして知らず知らずのうちに「この恩をサッサと返したい」衝動にかられて、焦りで「自分」を見失っていた。
不安や恐怖が動機となっている行動は、一見どんなにポジティブなものに見えようが、うまくいかない。後味の悪い結果となる。スピ的に言えば、エネルギーがよろしくない、波動が低いのだ。
「朝一シェア」のご厚意を賜ったお返しをするチャンスは、その日のうちにやってきた。
私が、とある場面に出くわし、Aさん不在の状況で、Aさんを“助ける”行動をとったのだ。私がしゃしゃり出なくてもいいような場面だったのだが「親切」で出しゃばった。でも、事が進むにつれ、正気に戻ってきた私は強烈に後悔し、余計なお世話でしかない自分の行為を恥じた。この「恥」の気持ちが、後々怒りに変わるのではないかと思う。パーソナルスペースにガンガン踏み込んでくるAさんがイヤで仕方なかったのに、自分もAさんと同じような「踏み込み過ぎ」なことをしてしまった。私のプライドが傷つく。自分はAさんとは違う、と思いたいのに。
やはりエネルギーのよろしくない行動の結果は芳しくなかった。
私の「親切」に、Aさんからはなんとも簡素な「ご迷惑おかけしました」とのLINEが来たのみだった。
「あー!やってしまったぁ!」と私の心は荒れた。
以前の私は、この荒れた心のまま、「ああすればよかった、こうすればよかった…」「あの言い方さえしなければ…」「でもさぁ!もともとあっちがさぁ!」などと急に恥が強まり耐えられなくなって、相手を完全に論破できるようシミュレーションをやりこんだりしていた。
自分の心が現実として目の前に創り出される、ということを、常に意識し続けることができたら、もうそこには「どうでもいいこと」など存在しない。
この出来事について、書き出しワークをした。
そんなことはいつも思っているよ、という内容でも、自分で書き出したものを読むと不思議と心がおさまるというか、整う。改めて気づけたこともあり。
- 物事にたいしてこちらが「かまわない」としても申し訳なく思うことはない。
- 無意識に不安にかられて依存関係を構築しない。
- 不安、恐怖に飲み込まれているとトラブルに過剰反応しやすいから注意する。
- 自分のしたことを恥じて「否定」したくなるが、否定すればするほど「執着」することになる。「あぁ、不安に飲まれて行動したんだなぁ」とそのまま受け止める。受け止めたらオワリ。そこからこねくりまわさない。いちいち「やっちまった…」と自分をジャッジしない。
- 何かをしてあげなくてもいいし、私も何かを「してほしい」なんて思っていない。
- 本当の信頼関係は「自分自身と信頼関係が結べている人」との間でしかありえない。
- 他人に依存している人からの「親切」はそこはかとなく不快。
- 人に何かしてあげたいという心理には強迫的なものがあると心得ておくべし。
- 自分がみっともないことをしてしまった、という恥ずかしさが怒りに変わる。
- 他人にも自分にも、一貫性を求めない。
- 一貫性にこだわらなければ、「このことだけ」に関して、ただ素直に「ごめんなさい」が言える。
依存関係は“トラブル”が大好物だから、とにかく忙しい。
2020.5.3(日)祝 の日記
11:20起床
猫トイレそうじ、洗顔歯磨き、メイク。
スピッツ流しながら家事。洗濯、洗濯物たたむ、米とぎセットする。
12:00 だしつゆ高野豆腐さつまあげ入り。
本日の吉方位「南南西」
昨日会った知人↓に、私が余計なお世話をしてしまい、強烈に後悔。
今までの経験で、気が昂り(妙な)起こした行動で、うまくいったことなど、ほとんどない。後味の悪い結果がほとんど。
頭と心の中が嵐のようで、昨日に引き続き書き出しワークする。
この、書き出すっていう行為の威力には毎回驚く。
手書きで殴り書きしたものを、パソコンでEvernoteに打ち込む。それをプリントアウトして読む。
19:30シーチキンマヨネーズのおにぎりを作って食べる。大きいの一個と小さいの一個、味噌漬け、ヨモギ茶。
21:00買い出し 車の温度計18℃
お客が少なくなった時間を目指し買い出しに出る。
息子に声をかけると一緒に来るという。ここ数日、自発的に断捨離に励んでおり気分が良いのだろう。
時世の情報に疎く、自粛生活の影響でホットケーキミックスが店頭から消えていることを知らず、「買うものリスト」にいれていたが、そんな状況なのであきらめる。
息子は「世の中ホットケーキミックスがない件」は知っていた。
1パック600円の牛肉をかごに入れる際、息子に「一回で食べきらずに、せめて二食分にしてよ!」とクギを刺したが、そんな余計なこと言わんでもよかったな、と。
猫2匹。
いちいち、いちいち可愛くて、一日の中で猫を見てる細々とした時間を一つにまとめたら相当な時間だと思う。
久々に大嶋先生ブログを読む。
2:00布団敷く。
猫がころんころん、おめめくるくる可愛い可愛い。
2020.5.2(土)の日記
4:40起床
ひさしぶりに早起き。
猫トイレそうじ、洗顔歯磨き、メイク。
吉方位「東」
久しぶりに綺麗な朝日見る。清々しいお天気。
朝一にチャルメラを食べてみたが、やっぱりそれほど美味しく感じなかった。
(何度か挑戦してみて、この結果なのは薄々わかってるのにやってしまう。)
11:00知人からいただきもの。ご好意とはわかっているのに、なんか心がザワつく。
14:00お気に入りのだしパックでとった、だしでお雑煮、さつま揚げ入り。緑茶。
BS『世界遺産 富士山~水めぐる神秘~』
『神秘の球体 マリモ~北海道 阿寒湖の奇跡~』
『淀川~青の神秘』
NHKスペシャル3本たてつづけ。流したままPC作業。
今日会った知人とは、深い因縁があり、話したり会ったりするだけで心が荒れる。胃が張りつらい。カチカチになって痛み出す。
自分との対話のため書き出しワークをする。とたんに胃痛がおさまり驚く。胃薬より即効性あり。
お風呂
23:00ごはん、めんたいこ、豆苗と卵とじ味噌汁
さそり座の私がうれしかった動画
【さそり座】1つの星座は3タイプに分かれる!? デカンって何?【占い 蠍座】
占いが好きなわりに、占いを軽んじて生きてきたことを後悔している。
占いが好きだったのに、「しょせん占いなんて…」という漠然とした世間様の論調や、実際に聞いたか不確かな、人が吐き捨てた言葉に怯えて、「占いなんて…」という思いが自分の考えだと信じて生きてきてしまった。
ある程度の年齢になった時、私は愕然とした。
なぜ自分の心をあんなにも簡単に無視してしまったのか。
あの頃の私は、明らかに占いにワクワクしていたのに…
底知れない神秘に心が躍っていたのに…
人間の心の不思議に感動していたのに…
ここ数年、占いの深さに改めて感動することが多い。
単純に、他人の言葉で語られる「自分」を聞くのは楽しい。
自分を知りなおすことが楽しい。
昔、テレビで中村うさぎが、「占いって、よく考えると、他人が自分のことだけをあれだけ話してくれるっていう…それってすごいうれしいじゃない?」というようなことを言っていたのが印象に残っている。
私はさそり座だが、誰でも(特に女性は)「自分が、なに座か」というのは、アイデンティティー構築にかなり影響を与えているのではないかと思う。
本質的な気質性質、陥りやすい思考癖などを自覚できていたら…もっと自分を機能させることができ、想像以上に生きやすくなるはずだ。今さらながらの確信がある。
そうは言っても、私は普段どうしても忘れてしまう。
まるで、大事なことをリスト化しておいたらさぞ便利だろうと思ったのに、リスト化したことを忘れてしまい、困る度にこのやり取りを繰り返すかのよう。
今回YouTubeで、「そうかぁ!私の、この思考パターンは、さそり座あるあるだったのかぁー!」と落胆と感動とを味わった。
さそり座に幸あれ。
2020.5.1(金)の日記
2020.5.1(金)
10:15起床
やはり8時のアラームでは起きなかった。
カーテンを開け、窓も開ける。猫トイレ掃除、昨夜の掃除をさぼったから、オシッコが“トイレ場外”にされている…ごめんね。
洗顔、歯磨き、メイク。
雑記ノートは「すべてを一冊に派」か、「書き分け派」か「ルーズリーフ派」か…この難題に結論が出ないまま、暗中模索、五里霧中、試行錯誤の十数年。ノート術の本を読むたびに挑戦するも、やはりどこかで破綻してしまう。DaiGoさんは「なんでも一冊に書く派」と。うーん。
ゴミ出し。
隣のウチの男の子が半そで姿で水まきしてる。「〇〇くーん」と声かける。「あー」と一言。(笑)
11:00ごはん
炊き込みご飯の残り、牛肉焼き残り、緑茶。
12:00本日の吉方位「南南東」
コンビニでコーヒーを買うと、コロナ対策のため、カップだけでなくフタもレジでの受け渡しになっていた。
近くの宝くじ売り場で、スクラッチを2枚買う。帰宅してから削ったら1枚当たってた。100円!^^
外は暑くて、やはり天気予報で言ってたとおりだなぁ、と思いながら帰ってきた。半そでの人がたくさんいた。私は厚着すぎた。
新聞の「漢字雑学欄」みたいなところの今日の内容が「文福茶釜」のことについてだった。本来は「分福」が正しい、という。
幼い時、初めて「ぶんぶくちゃがま」の話を見た時(日本昔ばなしだったような)胸が張りさせそうなほど切なかったのを思いだす。
ネットで、今月『キングダム』が地上波放送するというトピックの流れで、長澤まさみの記事を読んだ。長澤まさみは以前のマネージャーから「女優は一に声、二に顔、三に姿」という言葉を教わり、女優という仕事をするうえで、声のトーンが果たす役割はとても大切だと意識している、と話していたそうだ。
そのあと新聞を読んでいると、俳優の志賀広太郎さんが亡くなったという記事を見た。驚く。
長澤まさみ主演の『曲がれスプーン』は好きな映画。志賀広太郎さんが喫茶店のマスター役だった。
神社の方位を調べる作業に没頭。
作業に没頭する時間は至福。
16:00休憩
ホットケーキミックスで電子レンジで蒸しパンつくる。紅茶ソイラテ。
2020.4.30(木)の日記
2020.4.30(木)
14:30起床。
8時にアラームをかけていたが、モップの交換のため玄関まで動くも、また布団に戻る。ふわりふわりと何度か目が覚めるたびに、ゴミ出しのことが気になるも、最終的にはアウトの時間になる。どこかホッとしている。
起きてすぐコーヒーを淹れる。
マヨコーンパンも食べる。食べていると、息子が“俺はちゃんと起きているアピール”のようにやってくる。なんとなく攻撃的な空気が出ている。
私は私で、“何時に起きたってやることはやりますよアピール”のように、猫トイレ掃除、歯磨き洗顔、メイク、布団をあげ、掃除機がけをする。サッパリ。
何時に起きようと、その日外出の予定があろうとなかろうと、メイクはするというのを私の生活の軸にしている。軸を強化するためにもうひとつ重要なのは、どうであれ毎日お風呂に入ること。このふたつのことができれば、精神活動にかなりよい。自分への信頼値が上がる。
今日こそは、報告書を作成しなければ。
今日こそは、プロバイダー解約の電話をしなければ。
どちらも完了できた。サッパリ。
報告書作成も、プロバイダーへの電話も、とにかくやる前から気が重い。これは生きていく日常の、あらゆることに言える。毎回これら「気の重くなる案件」に関して紙に書き出して内観してみると、たいがいの場合「うまくいく気がしない」という心理に陥っていることが多い。どのみち「うまくいかない」「滞る」という状態が待ち受けているのだと潜在的にはすでにうんざりしているのだ。
今日は紙に「おちつけぇ~!!おわる!やればおわる!“終わらない”なんてことはない!」と書きなぐることによって、緊張で固まった心がほぐれた。
本日の吉方位「南」
南方位のコンビニへ。息子を誘うと珍しく着いてきた。
春の陽気で、外に出ると風が生暖かい。晴れ渡った日の夕暮れはいいものだ。
コンビニ店員の女の子がとても感じがよかった。クリームあんみつにスプーンはいらない、と一度は言ったものの、コーヒーのドリップ待ちで「やっぱりスプーンください!」と声をかけると、にっこり笑って「はい。」と言ってくれた。いいコだ、嬉しい。
帰り道は夕日が綺麗だった。
息子が、ニュースのインタビューで見た個性的なお爺さんがおもしろかった、という話をした。せっかくその話をしてくれたのに、ちょうど運転が込み入ってる時で、聞き方に気が入ってなかったなぁ…と帰宅後思う。
19:30カレーうどん。
FODで『コンフィデンスマンJP』観ながら食べる。
カレーうどんに彩りのため豆苗を少し入れたが、この豆苗は私が生まれて初めて“収穫”したものだ。スーパーで買った豆苗は、もう一回収穫できるとは聞いていたが、挑戦したことがなかった。それが今回見事に育ってくれて、食べることができた。ありがとう豆苗。
私が息子に話す雑談には、すべてにおいて「思惑」があるように思う。話してるその瞬間には気づかないけど、話した後の後味の悪さで気づく。
深夜1:30
なにか食べたくて、ちくわ3本と、おせんべいを食べ、お酢ドリンク飲む。
布団に横になりながら本を読もうと思ったけど、考えごとしてる間に寝れそうになってきたから、電気消して静かにしてたら寝た。
2020.4.28(火)の日記
徹夜。
雑記やメモ、紙類の整理をしていたら朝になってしまった。かなりスッキリしたけど、毎回思う、「なんでこんなことできないのかねぇ…ものごとは小さいうちにマメに片付けていれば、これほどまでにエネルギーいらないはずなのに…」
5:00朝になってしまったし、せっかくだから、本日の吉方位「西」のファミマに行く。キャラメルマキアートとマヨコーンパン。
雲は多いけど、青空も見える。
帰宅後、パジャマに着替える。
14:00起床
そのまま台所に行き、お皿を洗い、昨日下ごしらえしておいたカレーを仕上げる。
猫トイレ掃除、洗顔歯磨き、米をとぎ、メイク。
『喜びの真法』再読。
p8
「感情」にふりまわされて悩んでしまうのは、
「感情」そのものに原因があるわけではなく…
「感情」にふりまわされている「じぶん」に原因があるのです。ではなぜ、
「感情」にふりまわされてしまうのでしょうか?
それは、「ネガティブな感情」を「否定」しているからです。
わたしたち人間は「否定している」もの…から、
逃れることができません。
なぜなら「否定」とは「執着」を意味するからです。
そうです、「執着」とは実のところ、
なにかを「欲しがる」ことではなく…。
なにかを「否定」すること、
なにかを「拒否」することに値するのです。