ひとつの記事で、思いの丈すべてを語ろうとしなくていい。
例えば、本や映画の感想を書こうとする。
すると、本や映画自体、私にとって大切な存在であったという熱い思いに飲み込まれてしまう。ましてお気に入りの作品となったら、その作品を思い返す作業ですでに胸が苦しくなる。
自分にとってこんなにも大切な作品を、どう表現すればいいのか。気楽に書くことができない。
それが長年の悩みであったが、今、だんだんとわかってきた。「私が」その作品のすばらしさを表現できるかどうかなど心配する必要はないのだ。その作品のすばらしさは、読めばわかるし、観ればわかる。もちろん自分なりに表現できたらすごくいいと思うけど。
今まで書くのが怖かったのは、「この作品のすばらしさを、こんなにも私は理解しています。」という意識だったからだ。そして、それをわかってもらえないことへの恐怖だった。それはまさに、自己承認欲求。
「みんな、自己承認欲求じゃなくて、自己満足で生きればいいのにね…」と、ある人が言った。
“ひとつの文章で、人生のすべてを語ろうとしなくていい”と、何度ノートに書きなぐったかわからない。本の感想も、映画の感想も、書きたいと思ったら、同じ作品に関して何度も何度も書いたっていいんだ。なぜこんなにも有り体の、「そこはかとない」、それでいて「絶対的」な正解があると思いこんでいたのだろう。
文章を「結」でかっこよく締められたらいいけど、それもその時々でいいのだ。