2020.4.29(水)の日記
2020.4.29(水)昭和の日
10:45起床。
7時に、かけていたことを忘れていたアラームが鳴り、驚く。止めてまた布団に戻った。
10時ころから目は覚めていたものの、心が重く起きる気がしない。あれこれ考えながらしばらく過ごす。ごろんと寝返ったら同じ高さの目線の先に、無防備に爆睡している猫の姿が見えた。可愛い。可愛い。
そのままスマホで写真を撮る。布団から出る。
パジャマのまま台所に行き、昨夜洗い残した皿を洗う。すっきり。
お皿を洗う際につけているアームカバーそのままで顔を洗うと、思いきり顔を洗えるから気持ちがいい。「歯を磨くのめんどうだなぁ」という思考が入ってくる隙をあたえず歯ブラシを持つ。磨く。さっぱり。
昨日はスピリチュアルヒーラーのMOMOYOさんが夢にでてきたな。
おとといはメンタリストのDaiGoさんがでてきたな。
内容は、うっすら覚えていたのに、思いだそうとするほどにボロボロこぼれ落ちて消えた。
朝起きた瞬間すでに心が重い理由を、すべて把握できてるわけじゃないけど、だいたいは昨日までのことを引き続き考えていて、「今日もまたそれと向きあわなきゃいけないのかぁ…」と気の重さを先取りしている場合が多い。
それはすべてのことにおいて「一貫性」を持たせようとするからで、昨日気が重いことがあったからって、今日も気が重くならなきゃいけない、なんてことはない。
決まってる、なんてことはない。
別に放りだしたっていいのだ。まして、他人に迷惑をかけるわけでもない個人的なことだったりするから。「個人的な」なんて言うほどのことでもない、本当に些細なことなのだ。
昨日の夕食はカレーだった。寝るころにまたカレーが食べたかったけど、ガマンすることにして、「そのかわり明日の朝一、カレーを食べよう」と決意して寝た。そして今日、決意のままに実行してみたが、思ったよりおいしく感じない。勇んで大盛りにしたのも間違いで、最後の一口がどうしても頑張れず断念。その後もずっと気持ち悪かった。やはり、これが40を超えた現実か。
猫トイレ脇の床に、猫う〇ちがこすりつけられ放置されているのを発見。その場で息子を呼ぶ。息子はう〇ちの形状を見て「水木しげるさんが描く火の玉みてだ。」と言った。数日前、猫草を買ってきてあげた。その草が、長さそのままに、う〇ちとなったため、床におしりをこすりつけなければ「取れない」状態だったのだ。草が大好きで、観賞用の植物でもむしゃむしゃ食べる。だから猫草は大好きだが、こういう困ったことにもなるのだなぁ、とわかった。
今日の日盤吉方位は「西」。
西方位にあるファミマで、キャラメルマキアートを買う。
吉象意の「焼き鳥」も売っていたので、息子の分と自分の分とで、もも(タレ)2本買う。
自粛生活とは関係なく、もともと生活リズムが狂っていて、体調管理がなってない。
あたまがボーっとする。重だるい。
この感じはいけない。このままだとまた、なにもしなかった一日になる。
“3コずつ作戦”でいくぞ。
①『アウトプット大全』30分読む
②吉方位どり記録を手帳に書く 30分
③新聞読む 30分
多動の気が大いにあるから、決めた先から凄まじい勢いで気が散る。とたんに他のあらゆることが気になり出す。決めたことに向かっている時は、そのことだけ死守。これがむずかしい。
3コ達成。コーヒー休憩。
逆に休憩も気が散る。せっかくコーヒーを淹れても、うっかり目についたゴミなど捨てたら危ない。次から次へと手足が動き、気づいたらコーヒーが冷めていた…なんてことにならないように、休憩するときはレシートの一枚も捨てない。ひたすらコーヒーを飲む。
アウトプットしようとすると、とたんに、その動機のすべてが集中欲求なのでは…と不安になる。承認欲求は誰しもある欲求で、程度を越さなければいい。
でも、集中欲求は少し違う。
アウトプットについてのハウツー本や、読書術の本に「記憶に残ってないのなら、なんの役にもたってないということです。」の言葉を目にすると、たじろぐ。
今までの私の人生の大半が、なんの役にもたっていない、と言われたようなダメージを受ける。
新聞記事から書き抜きしたところ。
新潟出身写真家 小竹直人氏のコラムで、、
恩師の樋口健二氏からの言葉『マスコミってのはな、無名な人間には冷たいもんなんや』が心に残っていると言い、そして、「誰もが最初はそうである。何事も地道に努力するほかないと理解している。」と文章を締めている。
2巡目の“3コずつ作戦”
①『待つということ』30分読む
②『あなたも作家になろう』30分読む
③『アウトプット大全』30分読む
何を読んでいるか、というのをそのまま書くのがこんなにも恥ずかしいというのは一体どういうことなのか。『あなたも作家になろう』に関しては、誰に言うでもなく、「私は決して、作家を目指しているわけではないです。この本は、“書くことのすばらしさ”について、それでいて人々が書くことに対して無用な制限をかけてどんなに苦しんでいるかについて深い洞察で書かれており、何よりも“ただ書くこと”ができるようになるエクササイズがたくさん提案されている、すばらしい本なんです。」と頭の中で言い訳している。
夕方になると不思議なほど頭がスッキリしてくる。軽くなる。
ネットにアップするかどうかは後で決めたらいい。まずは“ただ書くこと”
下書きをどんどん書けばいい。
3巡目の“3コずつ作戦”
①新聞の切り抜きを貼る
②3枚のおみくじをノートに貼る
③机まわりのいらないものを捨てる
“3コずつ作戦”でエンジンがあったまっているから、席をたったついでの時に古紙をまとめたり、玉子焼きだけつくったりと、けっこうたくさんのことができた。
朝一食べたカレーの威力で胃が疲れ、夕食はお風呂あがってから、うどんを食べた。それとファミマの焼き鳥を一本。コンビニで焼き鳥買って食べるなんて今までなかったけど、ファミマの焼き鳥のおいしさに驚いた。