ハルBlog

ブログテーマを決められないまま日々書いています

日記をやめたら「生きる」を実行できるようになりました。#6

日々の事細かな行動記録と日記をやめたことで

通常の「生活」を営めるようになりました。

こんな生活は一体何年ぶりなのか…

 

家事にしても、仕事にしても、やらないといけな

いことに対してゼロアクションで手をつけられる

ことが久しぶりすぎて(もしかして初めての経験

なのかも)不思議な感覚に陥ります。

 

アクションを起こすことに対して「ゼロ」という

のもおかしな表現ですが、今まではやるべきこと

に手をつける前段階で、アクション(思考)が多

すぎてヘトヘトになっていたのだと、よくわかり

ました。

やるべき課題があった場合、まず頭に浮かぶのが

「やった課題をもれなく、確実に記録しないと…」

という心配、それと同時に「記録し損ねたらどうし

よう…」という不安も湧き上がっていたのだと思い

ます。

 

そうなると、まさに本末転倒な現象が起こります。

「記録し損ねる」という痛手を受けないために、

もしくは「記録する」ということの億劫さを先取

りで味わっているので、「課題そのものをしない」

という現実逃避をします。

 

行動記録や日記に息苦しさを感じていましたが、そ

れは「私のやり方が何かまずいのだ」と思い、息も

絶え絶え試行錯誤の日々を送り続けました。

けれど、心の中では薄々「おかしいな…」「日記が

私の人生の邪魔になってない??」と気づき始めて

いました。

そんなある日、ちょっとしたきっかけが

あり、私の中で水風船がパシャーンッ!と弾けるよ

うに「やめた!!」となったのです。

 

その瞬間から、心も体も岩のように重かった頭も、

サッパリ軽やかになりました。すると、あらゆるこ

とに変化が表れました。

 

そのうちの一つが、“朝飯前”ができるようになった

ことです。

主婦にとっては当たり前のことである朝一の洗濯。

私はなかなかこれができませんでした。

まずはコーヒーを飲んで…雑記に今朝の目覚めの様

子を書き記してからにしようか…どうしようか…

などと考えているだけで時間がどんどん過ぎていく。

時間を無駄にしている焦りでなおさら緊張が強くなり、

なおさら動けない…という負のループ。

 

行動記録や日記が悪いわけではないのでしょうが、私

の場合うまく機能しなくなっていたのですね。それを

認められず依存していたとういうことだと、今にして

思います。

 

こうなってみて初めて「なんでこんなことにもっと早く

気付くことができなかったのか…」と悔しい気持ちもあ

りますが、日記や行動記録を書くことで支えられ、力が

湧いていた経験があるので、その効果があった事実を手

放すことがどうしてもできなかったのだと思います。

 

今でも記録をつけていないことに対して不安になる時が

あります。

「書きたいときは書いて、書きたくないときには書かな

い」

まさにこれでいいはずなんです。

それなのに、こんな簡単なことがうまくできない自分に

ちょっとうんざりします。

昨日できたことは今日もできて明日もできる、という確

証、保証がないのが怖いのか…

自分をゆるめてあげられないのか…

 

書くことが好きだからこそこだわりすぎたのかもな、、

と今、このブログを書きながら思いました。

 

読んでくださりありがとうございました!