ハルBlog

ブログテーマを決められないまま日々書いています

息子、スマホ依存#16

高校入学を機にスマホを持った息子だが、どっぷり依存状態。

スマホを持つ時には親子でルールをしっかり決めましょう」というよく聞く注意喚起に、親である私自身イマイチ本気になれず、特にルールは決めずに持たせた。

それから数か月「ルールを決めておくべきだった…」と後悔する気持ちが日に日に強くなる。

ルールを決めなかったのは、私がしんどくなるからだ。

ルールを決めた瞬間から、「ルールを守らせる戦い」が始まるのが嫌だった。人にルールを守らせるということは、自分を厳しく律することとイコールだから。

 

スマホの依存性、威力は、私自身が痛感している。

だからこそ一時、親の管理下でスマホ使用に制約がかかったとしても、一人暮らしの自由を手に入れたとたん一気に酷い状態になるのでは…と思ったのだ。そうであるなら、早いうちに「依存状態」とはどういうものなのか知っておくのも一つではないかと思ったのもある。

 

どのみち子供にスマホを持たせるということは、親としては一度は茨の道を歩くのだ、と覚悟していた。

でも甘かった。私の覚悟が甘かった。

覚悟していたつもりだったが、こうも毎日活力のない息子の姿を見続けるのはしんどい…。

しかしここで一つ気づいた。息子の活力のない姿は今に始まったことではなかった。すでに中学の時から私は同じ悩みの中にいたのだ。それを今「スマホを持った」という環境がすべての元凶ように感じて、その不安と恐怖に飲み込まれてしまっていたけど、そうではなかった。

 

スピリチュアルな生き方を心掛けている私の一番の泣き所が、息子。

自分の思うようにならないことが起きた時、その現実をどう見るのか。

思うようにならないのが他人の場合は比較的楽なのだ。無自覚ではあるものの「いい人」や「物わかりのいい人」をやってしまうことで、自我も満足し当面は無事に済んでいる。

でも家族はそうはいかない。まして可愛い我が子のこととなると、ひた隠しにしてきた感情が大噴火だ。

大噴火に「偽りのポジィティブシンキング」など役にたたない。どこまでも「自分のこと」として観るしか道はない。

だって「現実は100%自分で創っている」んだもの。

そのことを、本で読むたび、動画で見るたび「ふむふむ」と納得してきたのだから。

 

「統合」「浄化」という観点で言えば、現実に起こるすべてのことは、その現実で湧きあがる感情を統合するため。浄化するため。

自分のことに関してだと器用に感情をごまかせる大人になってしまった私。その私が自分と向き合うことから逃げられなくしてくれるのが息子。最強の恩人だ。

 

読んでくださりありがとうございます。