今度生まれ変わるなら男、女、どっちがいい?の質問に1ミリも気持ちが動かない。#15
会話の中で、まったく琴線に触れない質問だったり、興味のない話題になることは誰しもあります。
あまりに興味がないことは、流して当然と思っていましたが、「興味が湧かない」というその点にこそ意味があるのかも…興味を向けている事柄よりかえって自分が見えてくるかもしれないと思ったりします。
「生まれ変わるなら…」
「今度生まれる時は…」
「男、女、どっちがいい?」
今までの人生の中で、数回(?)数十回(?)は雑談で出てきたかもしれません。
その度に「女かな。」ととりあえず答えてました。
でもその答えに本当に意味などなくて、この話題にこんなにも興味のない私が、持ち時間を費やしては申し訳ないので、さっさとバトンを他の人に渡しただけのことでした。
なぜいきなりこんなことが浮かんだのかは謎ですが、以前読んだ『BUTTER』という小説のことを、ふと思い出していたからかもしれません。
私は、今までの人生で、数えきれない不平不満を感じてきましたが、不思議と「女なんか嫌‼︎」という気持ちになったことがありません。
それは男より女がいいとか、女としての人生を謳歌しているとかではなく、「そんなこと考えたことがなかった」というだけでした。
「女としての幸せ」という概念に縛られ苦しい、とも思ったこともありませんでした。
生まれてきた時にすでに定められた性別。
それに何の疑問も異議もなかった人生でした。
ただ、この『BUTTER』という小説が本当におもしろかったことで(もちろん興味深い、という意味)私の心の奥底からいろんな感情が湧き上がってきました。
性別として、女が嫌だとは思ったことはなかった。でも「こんな女は嫌だ」「こんな女にはなりたくない」「こんな女はだめだ」無意識のうちに社会通念化している「女」に対するイメージに私も洗脳されていたのではないだろうか。世間的な合格ラインに達しようと必死だったのではないか。そして、合格できていないことを絶えず責めていたのではないか…そんなことをすごく考えさせられた小説でした。
私が感じた、この小説のテーマは「本当の自分の感覚を取り戻す」ということでした。
日々生きる中で、「自分の感覚」だと思っていることは、本当に自分の感覚なのか。
この小説を読んで、女として(常識的な)生きることに苦しさを感じていたのだと初めて自覚しました。これまでそんなことに考えが及ばないほど感覚が麻痺していたのです。
「興味がない」ことの根底には「感覚麻痺」があったのだと気づきました。
そして、こうやって書きながら気づきましたが、これは社会問題を考える時によく出てくる「思考停止ゆえの無関心」と言われることに繋がるのですね。
そう思うと、社会という一見大きな現実を変えていきたいと思うなら、本当に「自分」を見ていくしかないのだと改めて思いました。
読んでくださりありがとうございます。