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心を閉じ、頭がガチガチだった私。#10

 

身体の言い分(毎日文庫)

身体の言い分(毎日文庫)

 

 ちょっと長いですが、以下引用

 

内田 哲学者の木田元さんが書いたことですごく印象的な話があるんです。木田さんが学生時代にハイデガーの『存在と時間』を読んだ。でも、全然わからない。全然わからないけど、毎日読む。毎日三、四時間読む。そうして何日か読んでいると、次にハイデガーが何を言うのかわかるようになってくる。ここが話のかんどころなんですけど、ある日「わかった」というのではないんです。ハイデガーがわかった、というのではなくて、次のフレーズがどういうふうに終わるかがわかった。それまで何をいっていたかが理解できたというんじゃないんです。次に何を言うかがわかる。そういうものなんですよ、人間の理解というものはね。人間の理解力って、時間的に今読みつつある文章よりも先を読んでしまうということがあるんです。軽くフライングして、先に行ってる。そして、フライングして読んだとおりの文章が来ると、「あ、こうなると思ってた!」というふうになるんです。

 人の話を聴いていて「わかる」というのは、話を聴き終えて、なるほど言っていることがもっともだと納得する、というのではないですよね。本当は。そうじゃなくて、「あ、この人はこの話をこういうふうに結ぶな」ってわかって、そのとおりのことが起きた時にはじめて「ああ、なるほどそうですよね。ごもっとも」となる。

 どんなに理路整然とした話でも、どんなに辻褄が合っていても、次のフレーズが読めない場合は、「腑に落ちない」んです。「腑に落ちる」という時は、やっぱり「腑」が待っているんですよ。場所を空けて。その待っているところにすとんと落ちるから、「なるほど」となるわけで。

〈以上引用〉

 

 

 

長々引用して何が言いたいかというと、私の今までの人生において、スピリチュアルのことであっても、実生活の些末に思えることであっても、生きるうえでのすべてのことに関して「私は自分で考えて、自分でわかっていたんだ」という我の強さがあったことを告白したかったからです。

 

私は、ものごころついた時から、精神世界に意識が向いていました。両親が宗教活動をしていたので、私にとっては自然なことだったのかもしれません。その頃すでに「私は信仰を深く理解している」という気持ちがありました。それが一体何歳ころのことなのかは思いだせません。実際頭の中で言語化していたわけではないのですが、親よりも深く信仰しているという感覚もありました。何も知らない同じ歳の幼い「おともだち」にまで教えについて話していました。今にして思えば慢心した恥ずかしい行いですが、正しいことをしている気持ち良さもあったと思いますし、親に褒めてほしい気持ちが強かったのかもしれません。何に対してなのかはっきりしないまでも「自分はわかっている」気になっていたのです。私は、幼い頃から持っていた「慢心」を手放せず持ち続けたまま大人になっていたのだと気づきました。

 

「腑に落ちる」のは、そもそも聴いている方の人間もその本質を理解していて、納得するための「空間」ができているということですよね。そして「わかる」とは、矛盾するようでも「無知の知」「自分は何も知らないことを知っている」という状態です。ですが私は、自分の我が肥大するにしたがって、自分が「わかっている」ということを認めてもらうために生きるようになり、次第に「本当の自分」から離れていたのだと思います。その我の強さが、学びを狭めてしまっていたことを実感しています。学びとは常に「行動」とセットです。学び、成長するとは「生き方が変わる」ことだからです。そういう意味で、我が強い私は「素直に聴く」「素直にやってみる」ということが本当に苦手でした。それは、今だからこそ実感できたことで、その時は見えないことでした。

 

そんな私のガチガチのアタマと心をやわらかくしてくれた本がこちらです。

かみさまは小学5年生

 

 

 出版された時、広告も大々的でしたし書店でも目にしてましたが買う気にはなりませんでした。長年スピリチュアルの本を読んできていたのに「なんで今さら小学生に教えてもらわんとならんのじゃ!」と感じていたのかもしれません。笑

この本すべてに抵抗があったんです。(いいかげんサンマーク出版は卒業せねば…みたいな気持ちもありましたし)

それがある日のこと、寝る間際にふとこの本のことが浮かびました。私はそのころ「神さまのことってホント複雑でわからないよなぁ…生まれた時から下手に特定の宗教と縁が深かったことで他の神さまのこと学び損ねたよな…」と考えていました。そして「あの本なら…」という予感で、そのままベッドで電子書籍を購入して読みました。読んだ瞬間から一気に心と頭が柔らかくなって、いろいろなこだわりが消えていきました。それから心を開いて、新たな気持ちで精神世界について学べるようになったら、どんどんどんどん入ってくる入ってくる!今までの心を閉ざした次元では出合えなかったワクワクする情報ばかりで、今までどんなに学びを狭めていたかを痛感しました。

 

もっともっと心も頭もやわらかくなるはずなので、これからも「浄化」「統合」をして軽やかになっていきます。そして、「まさかこんな景色が見れるとは思わなかった」という自分になるのが楽しみです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。