我が強すぎる自分を認める。#8
私は、「頑張り屋にならなければ」「努力家にならなければ」と思って生きてきました。それと同時に「頑張りが足りない」「努力が足りない」と自分を責め続けました。自分で自分に鞭を打ち、気づけば「全力で間違った道を走る馬」のようになっていました。
自分を認めてほしい、でも認めてほしいとは言えない。(認めてほしいと思っていること自体認めたくなかった)満たされない承認欲求に執着した結果が、頑張ったことを証明するための「行動記録」でした。それと、一瞬たりとも止むことのない洪水のように溢れだす思考をいつか発表できるようにとつけていた「日記」でした。もともとは、そんな思惑を持って書いていたわけではないのですが、最終的にはハッキリ言って依存症であり、強迫観念にとらわれた不健康な状態でした。
自分で自分を「頑張り屋」「努力家」と言うのは傲慢な気がします。ですが、以前の私は実際の言葉として発していないだけで、潜在的にそう思っていました。
ただ、この頑張りと努力こそが、どれほどの〈我〉であったか、今、ありありとわかってきたのです。この、今まで見えなかった景色が見えだしたことを、ここで伝えたいと心から思います。
「幸せになるためには苦しまなければいけない」
これは、私の中にいつの間にか深く深く刻み込まれた信念でした。
そして、苦しむことそのものが私の生きる証となり、苦しみを愛していました。
苦しんでいる自分を手放さないということは、自分の中にある怒りや恨みを手放さないということであり、それと同時にいつでも自分を責め続けていることでもありました。そして、苦しんでいる証拠として手放せずにいたのが胃潰瘍と十二指腸潰瘍の激痛です。20年以上、寝ても覚めても痛みと共に生きてきました。それは私そのものであり、どうしようもないことのように感じていました。
ですが、今はまったく痛みがありません。
痛みがなくなっていることにはすぐには気づきませんでした。
もう「あの時の私」ではないのだ、ということを比喩ではなく、体感しています。
身体的な痛みを手放したころは、他にもあらゆることが一気につながっていくような、気づきの勢いがすごくて、「これが本などでよく書かれている状態なのかな…」と思いました。ですが、案外自分の身の上に不思議なことが起きてもあっさりと流してしまう自分がおかしかったです。まだまだ自己を過小評価することに馴染みがあるので、「自分にそんなすごいことが起きるわけがない」と思っているのかもしれません。矛盾するようですが、もうひとつの理由としては、奇跡というものは案外あっさりと起きるものなのかもしれない、ということがわかってきたとも言えるかもしれません。
苦しさを愛している頃、顕在意識では「苦しさから解放されたい」と望んではいたので、さまざまな努力をしていました。
精神世界の学びも続けていました。新しいメソッドとの出合いがあると、その時は高揚するのですが、それが続くことはなく、また心は沈んでしまいます。そのアップダウンに疲れ果てると「いつまでもこんな現実逃避のようなことばかりはしていてはいけない」と罪悪感を感じ「現実的な努力」をするため今度は、自己啓発の本を読んだり、現実的に役立つハウツーを勉強する、というようなことを繰り返していました。
結局私は「自分が(我)なんとかするしかない」と思い込んでいたのです。それは精神世界のことを学んでいる時も同じことでした。本当の意味での「神にゆだねる」ということがわかりませんでした。「宇宙にまかせる」にしても同じです。神の力の不思議、宇宙法則の壮大さの話は好きでも、「私の現実とは別」という意識だったのです。もっと言うなら「神様や宇宙になんとかしてもらうのなんて嫌。自分が(我)力を証明したい」と思っていたのだと、今ならハッキリわかります。
神の力で幸せにしてもらうぐらいなら自分の力でもがいて苦しんでいたい。
ここまで実際に書いてみて、改めて自分の我の強さにビックリです。(笑)
自分の我の強さに気づき認めたことで、あらゆることが変わってきました。そして先ほど、ふと吉岡純子さんのブログを読んだのですが、まさに〈我〉のことが書いてありましたので、引用させていただきます。
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吉岡純子さんの著作
〈以下、吉岡純子さんのブログより〉
特別参拝が終わった瞬間に
神社の神主さんが
とっても大切な言葉を
私達夫婦に伝えてくれたので
皆にもシェアしておきます
「神道では、
“鏡”には様々な意味があると考え
られています
“鏡”を平仮名にすると
“かがみ”となりますが、
“が”の文字を抜くと
“かみ”の文字が現れるように、
“我(が)”を抜いた人間に
神は姿を現すという意味があるんです。
どうか、
“我先に”の精神や
“我を通し過ぎる”精神ではなく
周りの人達の幸せを願って初めて
“我”が大成することや
“我”に幸福がもたらされることを
忘れないで下さい。」
〈引用以上〉
最後まで読んでくださりありがとうございます。